小田原散歩 Vol.8(二宮金次郎)【CAD 派遣 求人 アルファコーポレーション】
参院選の前に(尊徳記念館)

参院選挙が7月10日に有ります。この機会に 二宮金次郎(二宮尊徳) を巡る散歩コースを紹介します。

二宮金次郎は天明7年(1787年)7月23日 小田原市東栢山の農民の子として生まれました。

そして、安政3年(1856年)に約70才の生涯を閉じています。

大政奉還は 1868年5月3日、亡くなって約12年後の出来事です。

金次郎は幕末に近い時代に生きた人なのです。

 

それでは、富水駅へ行きましょう。富水駅は小田原駅から小田急線の各駅停車電車で3つ目の駅です。

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駅には、二宮尊徳遺跡案内図が有ります。それを基に散歩をします。

026案内図

 

最初の目的地は二宮尊徳記念館です。駅から徒歩約15分の所に有ります。

003道

 

金次郎の生まれた天明7年ごろは各地に天災や飢饉がつづいており、

百姓一揆や打ちこわし(金持ちを襲って略奪する行為)が頻繁に起こっていました。

4年後の寛政3年に大暴風雨が起き酒匂川の堤防が壊れ、田畑に流れ込み栢山の田畑は大打撃を受け。

二宮家の田んぼも例外無く砂礫の下に埋まって、米の収穫が儘ならない状態になってしまいました。

 

004道

(大通りに出ず手前で左折した方が良いです)

 

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 (やがて、若宮八幡宮がみえます)

 

006田んぼ

二宮家は大借金を抱える事になり10歳を超えたころには金次郎も朝は野良仕事、夜は草鞋作りと

家計を助けていたが、やがて両親は辛労で亡くなり土地も再度の酒匂川の氾濫で無くし、

金次郎16歳の時、兄弟ばらばらになり金次郎は伯父の家に身を寄せる事になりました。

当時の農民たちは、天災に持ちこたえる力は無くほとんど農民は悲運の道をたどったようです。

 

008ポスト

(大通りに出ると左に曲がり進むとやがて尊徳記念館です)

 

010記念館

 

009記念館

尊徳記念館

二宮尊徳にまつわる遺品・資料などを展示のほか二宮尊徳(金次郎)の偉業を説明してくれます。

尊徳記念館敷地内には16年間、実際に住んでいた生家があります。

観覧料一般 大人:200円/小・中学生:100円

011お店

(休憩場所に 尊徳茶屋となりに喫茶店)

 

捨苗栽培地跡の碑・油菜栽培地跡の碑・善栄寺・二宮総本家屋敷跡の碑

尊徳記念館を観覧して、さらに先を進むと捨苗栽培地跡の標識が見えてきます。

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折れた先には小さな公園が有り、その中には捨苗栽培地跡の碑が有ります。

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17歳のとき道端の捨ててあった稲の苗をもったいないと思い荒田の水たまりに植えて置いたら、

収穫時に一俵(60㎏)の米が採れたという。金次郎の人生観の礎になった場所です。

 

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さらに、奥に進むと、

 

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田んぼが広がります。見える踏切を目指し、そして渡ります。

渡ったら左側の道を進みます。進むと橋が見えてきます。橋の名前は油菜橋(あぶらなばし)。

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手前に油菜栽培地跡の碑が有ります。

 

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金次郎は幼時のときから読書が好きで、時間があれば読み続けていた、夜もである。

伯父に迷惑を掛けないために、燈油の原料である、油菜の種を借りて近くの荒地に蒔き

その翌年には、七升以上の収穫を得たその跡地です。

そいう経験を得て、わすかの種子がやがて予想外の収穫になる

「小を積んで大と為す」という自然界の法則を学んだのです。

 

栢山015

栢山地域は静岡方面が天気が良いと富士山が眺めます。

 

それでは、捨苗栽培地跡の標識まで戻りましょう。

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大通りを先に進むと、善栄寺前バス停が見えます。そこを右折してください。

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最初の交差点を左折して進むと善栄寺が見えてきます。

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善栄寺には二宮尊徳の書状が九通保管されてます。そして、二宮尊徳のお墓は日光市に有りますが

善栄寺には尊徳の遺髪と遺歯を二宮総本家の墓地の中に埋葬した引き墓が有ります。

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(少年勉学の像)

19歳のとき一家の再興に着手した。まず始めに生活のもとになる金銭の出入りを克明に記録。

普通の農家仕事だけには再興はできないため、年貢が重いが副業の利益には税金が掛からなため、

荒地を開墾しては小作に出して、自分は薪ら米を売った金を他人に貸し付けし利息を得たり、

武家に奉公し給料を得て、手放した田地を買い戻していった。着実に再興は進みました。

 

善栄寺の先には二宮家総本家屋敷跡の碑が有ります。

総本家039

総本家の再興も着手して約50年掛かりました。

 

039

 

 金次郎32歳の時、小田原藩の家老 服部家の再興を任されました。

農民が家老の財政を任さられるという前代未聞な事である。

給料千二百俵の服部家、実際は約四百俵のみでしかも二百五十両あまりの借金を抱えていた。

相次ぐ天災で米の生産力は低下。年貢の収納がままならない状態のため正規の給料が貰えない有様。

(いまだに年貢の税金、給料が俵という時代遅れがまさに町人に力をつけさせた原因である)

収入が見込めないのでは、支出を抑えるしか無いとの事で、徹底した倹約、生活の合理化をしました。

それでも、借金が減らなかったため、藩から安い利息で千両を借りて一部を借金返済、一部を再興に

そして、残り半分以上を他の藩士の救済に使い30年後にようやく借金返済が完了したようである。

 

松苗の碑、再び富水駅へ

道路が一部赤い交差点で右折して酒匂川へ向かいます。

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進むと一面田んぼが広がります。

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そして、酒匂川の土手にでます。

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土手は散歩コースになっていて、大勢の人が散歩、ランニング、サイクリングを楽しんでいます。

 

報徳橋の方を目指して歩いてください。

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歩いて行くと田んぼ側の土手下に怪しげな遊具が見えます。

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その先に最後の目的地、松苗の碑が有ります。

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(松を植え、川の氾濫を抑えたと言われてます。) 

その後、桜町領、細川藩、烏山藩、小田原藩、相馬藩、下館藩 等 再興を手掛けました。

それは、容易い事では無く、藩の役人の嫌がらせ、地元農民の反対、天保の飢饉、現代と似た

問題に対処し続けたようです。やがて、尊徳に賛同した門下生が五、六十人に増えたそうです。

 

では帰りましょう。近くの栢山駅へ帰るのも良いですが、酒匂川の土手はとても良い所です。

散歩を続けて元の富水駅へ戻った方が良いでしょう。

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報徳橋と反対方向へ進みましょう。

 

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やがて、富士道橋が見えてきます。

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橋の手前の道を右折します。

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真直ぐ進むと、富水駅入口にあたりすぐ先が富水駅です。

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富水駅に着きました。歩く時間は約70分ぐらい、見学時間は50分取ったして約2時間の散歩になります。

たまには、のどかな時間を満喫してはいかがでしょうか。そいう時間も大切です。

 

 

 

 

 

小田原城と選挙

小田原城周辺では、報徳二宮神社と報徳博物館が有ります。

 

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報徳二宮神社 

 

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神社内の 二宮尊徳 像 (神社内に きんじろうカフェ も有ります。)

 

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報徳博物館

二宮尊徳の人づくり、国づくりの思想とその業績をお伝えする博物館です。

                  一般料金 大人200円、子供100円

 

選挙も近くなりました。今一度、我々も政治とは何かを学ぶ時だと思います。

尊徳は二年三カ月をかけて仕法のひな形を作っています。総数八十四巻に及ぶ「報徳仕法」、

特に今の政治家、行政の人たちは是非とも読んで頂きたいです。

真似ろとは、言いません。ただ、国づくりに大切な基本が有るような気がします。

 

 

 

 

以上、技術者派遣に特化した CAD・設計・派遣の専門会社

    株式会社アルファコーポレーションからのお知らせでした。

 

   

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