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巨大迷路、横浜中華街 【CAD 派遣 求人 アルファコーポレーション】
方向感覚を失う不思議

横浜中華街。日本にありながら、中華文化を味わえる異国空間。そんな中華街を歩いていると、ある「不思議」な現象を体験することになる。普通に歩いていたはずなのに、気が付いたら自分の居場所が良く分からなくなっている。さっきの場所に戻りたいが、戻れなくなってしまう。最寄り駅には関内駅、石川町駅、元町・中華街駅などがあるが、自分たちが来た駅に戻れなくなる人もいる。

この「方向感覚」を失う「不思議」は、中華街全体の作りにあるという。地図で確認すると中華街の場所だけが斜めに傾いている。そのせいで、朝陽門、朱雀門、延平門、玄武門の各門から入り、まっすぐ進んでいるつもりが、いつの間にか斜めに進んでいる状態になってしまう。そしていつの間にか、自分の居場所を見失ってしまう。追い打ちをかける中華式風景。

ん? ここはさっきの店かな?

が実はまったく別の店で、自分の中の地図が悪い方向に書き換えられていく。それがほぼ無意識に行われる為、中華街に慣れていない人の多くが、「中華街で、いい大人が迷子」といった体験をすることとなる。

 

 

実際、この現象は中華街だけではなく、知らない土地をうろうろすると体験できる。とくに目印の少ない土地では、大人の迷子もさして不思議な現象ではない。ただ、横浜中華街はその名のとおり、横浜。目印となるものは多く、また駅も多い。しかし、中華街は巨大迷路となり我々に容赦なく襲い掛かる。

なぜ中華街が巨大迷路のような街になってしまったのか………。

 

田園風景が広がっていた横浜

現在の横浜中華街がある場所は、横浜新田という名の田んぼがあったそうで、そことその周りを開国後、外国人居留地として割り当て、現在の姿となっていったという。

まだ横浜が横浜村と言われていた時代、その田んぼへの水源として、現在も中華街に沿って流れる堀川から水を引き入れていた。

 

 

用水路を作るにあたり、当然ながら最短で引く方が労力がかからない、といった具合で堀川からほぼ垂直に畦と用水路が作られ、田んぼが区画された。川に対して垂直だが、主要道路に対しては斜めになる基礎がこの時に完成した。

ここでまた疑問が湧き上がる。現在中華街の一角以外、碁盤の目のような区画となっているのにもかかわらず、なぜそのまま斜めに伸びる道を残したのだろか?外国人居留地として割り当てた時に、なぜ整備しなおさなかったのか。そこには横浜開港の歴史が絡んでくる。

 

時代に翻弄された横浜中華街

安政五年、明治になるおよそ10年前に日米修好通商条約を含む、いわゆる安政五ヶ国条約が調印され、その条約にによって、神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸、大阪の6港の開港が約束された。先立って神奈川の港を開港するのだが、その港を単なる漁村だった横浜とすることにした。

当時の神奈川の港といえば、神奈川湊と呼ばれる、現在の神奈川県神奈川区神奈川本町付近だったが、そこは江戸幕府の要所が存在し、江戸につながる東海道に近く便の良い場所。そんな場所に、まだどういう民族なのかも理解できていない外国人を住まわせてしまうという事は、リスクを考えるとできない。またすでに宿場町として栄えていて、多くの日本人が住んでおり、そこに外国人が共存するとなると、何が起こるかわからない情勢でもあった。そこで対岸の田舎漁村だった横浜を港として、その周辺を外国人居留区として提供することにした。もちろん、外国人隔離政策だと諸外国は反発するが、横浜も神奈川だという事で納得させる。

はれて調印の翌年、横浜は正式に開港する。開港すれば約束を破ったわけでもないので致し方ない、諸外国も日本との交流窓口として、横浜港と割り当てられ一応は整備された、その周辺の土地を利用し始める。

 

 

外国人とはいえ人間が集まれば物資が必要となる。生活をするうえで、色々なものを求めるようになり、それに合わせるよう店が出来、その店に日本人が働き始め、経済が回りだし、村が町へと変わっていく。

ただし、店を出す側も始めは手探り状態のため、資金を抑えての出店。そこに来る外国人たちも、潤沢な資金や過大な労働力を使えるわけではない。必然的に、現状ある状態で街を作っていく。街を作ると同時に陸上交通のための道も整備するのだが、やはり道を作る場合も、あるがままに作るほうがコストがかからない。ローコストの開発が続く。(文献では江戸幕府が整備したそうなので、意図して不便にした可能性もある。)

計画された都市整備もなく、行き当たりばったりの開発、そこに資金と労力をさけず(さかず)利便性は二の次、さらに開発に非協力的な江戸幕府。その結果斜めの場所が残る事態となった。そしてその後、中華街を区画整備し直そうにも、新たに作り直すわけにもいかないくらい、中華街には人が住み着き繁盛をし、時代は流れ、そのままの状態で現代の中華街へと変わっていく。

川に垂直に畦を作らなかったら、港を横浜としなかったら、都市計画を行い道をつくれば、江戸幕府が協力的であれば、もしかすれば現在の巨大迷路ともいえる中華街はできなかったかもしれない。

 

追記 戦後の再整備

第二次世界大戦中、横浜は焦土と化したが、結局中華街は整備し直されず、斜めのままだったことから、中国人が風水に基づいて造ったから斜めになったとの説もある。ただ斜めとなる基礎は、外国人が居留する前からあり、幕末の開港時にその整備を行ったのが江戸幕府であることから、その説は当てはまらない。

戦後の再開発時に、斜めのまま再整備された理由は、やはり資金や物資不足での現状利用とそこに住んでいた人たちの土地権利、の絡み合いなのだと思う。


以上、技術者派遣に特化した CAD・設計・派遣の専門会社、株式会社アルファコーポレーションからのお知らせでした。

 

   

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