2017/06/07
日本人商社の煉瓦遺構 横浜市中区 【CAD 派遣 求人 アルファコーポレーション・ALNET】

関東大震災で大部分が倒壊しましたが、その一部が奇跡的に残りました。
この遺構は、明治時代に建てられた日本商社の社屋の一部と
推定されます。
建物は大正12年9月1日に起きた関東大震災で大部分が
倒壊しましたが、その一部が震災後の復興建築の内部に
奇跡的に残されていました。
わずかな部分でしかありませんが、近代化された街の中に
残されている「煉瓦遺構」はとても貴重な存在です。
現在の内部は有料駐車場として利用されています。
隣りのビルとは、このように密接していますが、案外と違和感は
ありませんね。
内側に回ってみました。
H鋼やアングルの鉄骨で頑丈に補強されています。
レンガ積みの倒壊部分から鉄筋棒が出ていました。
当時と比べると、やはり現在の構造は高い基準にあるように
感じます。
当時の街並はレンガ造りが多かったようです。
関東大震災直後の街の様子がうかがい知る事が出来ます。
がれきの山ですね。
右側の青いラインの囲みが今回紹介している「煉瓦遺構」の
有る場所です。
震災前はこのような外観をした社屋だったようです。
なかなか立派でお洒落な建物ですね。
青いラインが、現存している開口部周りの外壁の
一部分です。
当時の関内周辺の建築物は、レンガ造が多かったようです。
この建物が、当時の街並みを想像させてくれます。
レンガ造による重厚感のある建物が多かったように
感じますね。
皆さんもよく御存じかと思います。
この建物も説明は必要ないですね。
実は此度、「建築士法」で定められている「設計等の
業務に関する報告書」を神奈川県庁の建築安全課指導監督グループ
に提出に行った時に見つけた「煉瓦遺構」でした。
県庁の受付も新館に移り、この旧館はどうなってしまうのか?
是非、貴重な歴史的財産として残して欲しいものです。