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イギリスにおけるキリスト教とその歴史【CAD 派遣 求人 アルファコーポレーション】
ビバリーミンスター

ハル(Hull)の北に6マイル離れたビバリーは、かつてはイースト・ライディング・オブ・ヨークシャーの首都でした。そして、ビバリー・ミンスターの本拠地であり、イングランドで最も美しい教会の一つです。ビバリー・ミンスターには教会というより、大聖堂建築の壮大さがあり、実に多くの英国の大聖堂に影響を与えています。それでもビバリー・ミンスターは大聖堂ではなく、ビバリーに3か所ある教区教会の一つに過ぎません。

 

付属修道院を持つ最初の教会は、ウィットビー(Whitby)の聖ヒルダの下で修業した聖ヨハネ(John)によって7世紀にビバリーに建てられました。彼は西暦687年にヘクサム(Hexham)の司教となり、その後ヨーク(York)の司教になります。後にジョン(聖ヨハネ)はビバリーに戻り、そこで引退し老後を過ごし、そして721年に亡くなるとその教会に埋葬されました。

 

その後デーン人(デンマーク地方に居住していたノルマン人の一派)によって教会はほとんど破壊されてしまいましたが、10世紀に入りエドワード長兄王の長男アゼルスタン王によって再建されました。その後もジョンの聖廟に訪れる巡礼者は後を絶たず、1037年には聖人として称えられます。ジョンは今も教会のプラークの下に眠っています。

ノルマン人の征服以降、ノルマン人によって教会が改装されましたが、1188年に火災で焼け落ちてしまいます。新しい教会は1220年から再建が始まり、今日の荘厳なゴシック様式の教会となるまでの1420年まで続けられました。

 

ビバリー・ミンスターは、中世初期のイギリスを席捲したゴシック様式の教会建築の古典的な例です。ビバリー・ミンスターの美しい西側の面は、ウェストミンスター寺院の正面のモデルと言われています。

 

最も驚くべきはセントラルタワーの上部にあります。そこには世界中でみられる水車の車輪のような巨大な木製の車輪が設置されています。これは1700年代に設置された踏み車で、作業員がこの中に入って歩く(ハムスターのように)ことで、下部にあるネーブ(教会堂中央の一般信者席のある部分)から屋根の中へ資材を運ぶことが出来ます。タワーから下のネーブを見下ろす穴は現在もあり、踏み車は今でも動いています。

ビバリーの街並み

ビバリーの町は教会の周辺に成長し、1573年のエリザベス1世統治時に行政区となり、非常に重要で豊かなところでした。この町は元々インデラウダと呼ばれ、ノーサンブリア王国統治期にビバリーの聖ヨハネによって700年頃に作られました。バイキングによる支配が終わると、イギリスで宗教的に重要な意味を持つようになりました。また貿易産業が確立すると、急速に成長を遂げます。聖ヨハネの巡礼地であり、ウールの重要な取引場所にもなりました。

 

教会だけではなく、ビバリーにはほかにも数多くの歴史的な特徴があります。例えば12世紀に建てられた素晴らしい教会の聖マリア教会はビバリーミンスター教会よりも古い。聖マリア教会はウサギの彫刻で有名であり、ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』の三月ウサギを生み出すきっかけとなったと言われています。

かつてイギリスで10番目に大きかったこの町は、20世紀になるとビバリー自治区(1974-1996)の行政の中心になります。ビバリーは競馬場と市場だけでなく、年間を通じて様々な食や音楽の祭典を開催することで知られています。

 

ちなみに、マサチューセッツ州のビバリーやカリフォルニア州のビバリーヒルズの名はこのビバリーから付けられました。

イギリスとキリスト教

イギリスとそれ以前の諸国における宗教は、1400年にわたり様々な形のキリスト教によって支配されてきました。2011年の国勢調査によると、キリスト教が主要な宗教であり、続いてイスラム教、ヒンズー教、シーク教、ユダヤ教、仏教があります。キリスト教徒の割合は、2007年Tearfundの調査によると53%、2009年の英国社会意見調査では42.9%、欧州社会調査では42.98%となっています。2005年、地理学者のセリ・ピーチはキリスト教徒のうち、62%がイングランド教会(プロテスタント:以前は英国国教会と呼ばれていました)、続いて13.5%がカトリック教会、6%が長老派教会、3.4%がメソジスト(プロテスタントの一派)であるとしています。

イギリス(グレートブリテン島及び北部アイルランド連合王国)は以前の独立国(イングランド・スコットランド・ウェールズ)の合併により1707年に成立したため、ほとんどの宗教団体がイギリス全体の組織構造を持っていません。特に北アイルランドは1921年にイギリスの統治下となったため、主要な宗教団体はアイルランド全体で構成されています。このようにイギリス全体での公式な宗教を欠いているのに対し、イギリス最大の構成国であるイングランドにはイングランド教会があります。イギリスの君主はイングランド教会の最高統治者であるため、プロテスタントのみが王位を継承することになっています。

イングランド教会

イングランド教会(英国国教会/英国聖公会)はイングランドの州教会で、最高司令官はカンタベリー大司教ですが、最高統治者はイングランドの君主、現在はエリザベス女王です。イングランド教会の起源は諸説ありますが、キリスト教の歴史の中では7世紀にカンタベリーのアウグスティヌスによるものとされています。アウグスティヌスは教皇グレゴリウス1世の命により、ケント(イングランド南部で現在のケント州)のエゼルベルト王の元へ派遣された宣教師です。664年のウィットビー教会会議で、それまでのケルト的典礼を廃して、ローマ式典礼を取り入れたことがキリスト教の歴史の中で大きな意味を持っています。

 

イングランドの教会は、他のヨーロッパ諸国と同様に中世後期に入ると王権と教皇権の争いが顕著になります。それでもイングランドの教会はローマから分離することはありませんでした。ところが1527年に当時のイングランド王ヘンリー8世が、妻キャサリンとの婚姻の無効を認めるよう教皇に申し入れするも、教皇クレメンス7世がこれを却下したことにより、関係はこじれ始めます。

1532年5月、イングランドの聖職者たちは自ら法的独立を放棄し、王に従う旨を発表すると、翌1533年には教皇上訴禁止法が制定され、聖職者による教皇への上訴が禁止されました。これにより教会統治の権力をカンタベリーとヨークの大司教が持つことになりました。ヘンリー8世の言いなりだったトマス・クランマーがカンタベリーの大司教となると、ヘンリー8世の離婚を認めます。その後教皇クレメンス7世がヘンリー8世を破門したことで、ローマとイングランドの分裂は決定的となりました。

 

以降、カトリック復興を画策する王は、議会によって尽く追放され、1688年にジェームズ2世が追放されると、オランダから娘のメアリ2世とその夫ウィリアム3世を迎え名誉革命が実行されます。これにより実質的には議会主権が確立し、形式的な立憲君主制とともに国王を首長とするイングランド教会が国家宗教となる「名誉革命体制」が成立しました。

以上、CAD・派遣・求人の㈱アルファコーポレーションでした。
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