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コロッセオとローマ帝国の盛衰【CAD 派遣 求人 アルファコーポレーション】
コロッセオの歴史

ローマの中心に建つコロッセオは西暦70年ローマ時代に建造が始まった円形闘技場で、英語の「コロシアム」の語源になっています。ちなみに正式名称は「フラウィウス円形闘技場」です。

長径188m、短径156mの楕円形で高さは48mあり、収容人数はおよそ5万人の巨大な建造物で、西暦80年に完成しました。コロッセオの使用開始に当たっては、奉納式のイベントが100日間にわたって行われ、この期間中には闘技場に水を張っての模擬海戦が行われたり、剣闘士数百人に猛獣千頭が死んだとされています。模擬海戦については、奉納式などのようにめったにない大きな祝賀の場のみで行われたようで、実際に開催されたのは4、5回程度のようです。

この闘技場が作られた目的は、主に民衆の娯楽施設でした。暴君ネロによる放漫財政を正し、財政の均衡を目指しながら首都の再建を進める時期であったため、緊縮政策をとりながらも、市民を懐柔するための策として建設されたものでした。皇帝の席には一日を通して、一般の観客席でも一日のうち20分以上は直射日光が当たらないように設計され、また入場時の混乱を防ぐため、全周で80か所も入場口を設置するなどの工夫がなされています。

 

中世に入るとコロッセオは採石場となってしまいます。コロッセオを造る白いトラベルティーノ石や大理石を教会や皇族の館を建設するために切り崩して使われました。大理石はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にも使われています。その結果、完全な円筒形だったコロッセオは現在のような欠けた姿になってしまいました。

コロッセオが崩れるときローマが滅びる

コロッセオは、当時娯楽の少ない民衆にとっての大きな楽しみでした。ここで行われていた主な催しは猛獣戦、罪人の処刑、剣闘士の戦いです。1日のスケジュールも決まっていたようで、午前中には猛獣同士の戦い、昼には罪人の処刑を行い、午後からはメインイベントとなる剣闘士の戦い。罪人の処刑は昼に行われたこともあり、その様子を見ながら食事をとる民衆もいたようです。

しかしやはり一番盛り上がったのは剣闘士の戦いです。剣闘士は主に罪人や戦争での捕虜、金や土地を失ったもののほか、名声を得るために自ら志願した強者も2割程度いたとされています。しかし一部を除き、闘技場に上がるには非常に過酷な訓練があったようです。中にはその訓練に耐えられず自害するものもいたとか。

では先ほど除かれた一部は誰でしょう。これは主に罪人です。防具を付けることも許されず、戦い方を教わることなく闘技場に放りだされます。片や戦い方を学び、武器防具に身を包み、片や戦闘素人の丸腰の戦いは火を見るよりも明らかでしたが、この罪人たちはもともと処刑を待っている状態なので、通常の公開処刑にエンターテイメント性を持たせたものという感覚だったのでしょう。

ローマ帝国の隆盛

ローマ帝国は、アクティウムの海戦でポンペイウスを倒したオクタヴィアヌスが、ローマに凱旋した後、紀元前27年にアウグストゥスという称号を元老院から与えられたことに始まります。オクタヴィアヌスは軍の最高司令官、最高政務官、ローマ宗教の最高位や元老院の高位称号を持つなど、ローマに関するほぼすべての権力を握ります。これによりオクタヴィアヌスの統治時代が始まります。

 

40年近くにわたる統治の後、オクタヴィアヌスの死後は養子のティベリウスに元首の地位が引き継がれ、帝政が確立していきます。3代カリギュラや5代ネロといった暴君を挟みつつも、元首政に基づく帝政ローマは安定した社会になっていきます。

そして12代ネルヴァから始まる五賢帝時代に入るとローマは全盛期を迎えます。13代のトラヤヌス帝がローマ帝国の最大版図を実現すると、各地に軍の駐屯地ができ、それは現在のロンドンやパリ、マルセイユ、ウィーンに発展していきます。14代ハドリアヌス帝は拡大路線を放棄し、属州の発展と国内の整備に注力します。その後も15代、16代と平和な時代が続きますが、16代マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝が養子ではなく実子を後継者とするとローマは再び混乱の期を迎えます。

ローマ帝国の衰退

元首政が限界を迎え、軍隊が力を持ったため、反乱が増加し皇帝の進退を左右するようになると、約50年の間に26人の皇帝が誕生する軍人皇帝時代が始まります。パクス・ロマーナ(ローマの平和)によって、戦争奴隷の数が激減すると労働力が不足し始めます。するとコロヌスという農民が増加し、小作制が発展した結果、人々の移動が減り、商業が衰退してしまい、版図すべてを統治するのが難しくなりました。そこで最後の軍人皇帝であるディオクレティアヌスは官僚制を主とする専制君主制へと体制を移行しました。またテトラルキアと呼ばれる2人の正帝と副帝を置く四分割統治を導入し、帝国は一時安定を取り戻します。

395年、テオドシウス1世は帝国を東西に分け、長男に東を、次男に西をそれぞれ統治させたが、次第に流通もなくなり、東ローマ帝国と西ローマ帝国へと分裂は進みます。西ローマ帝国の歴史は浅く、476年に西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され滅亡すると、ガリア地方にかろうじてローマ領として残ったソワソン管区も486年にゲルマンの攻撃を受け消滅してしまいました。

 

一方東ローマ帝国は首都をコンスタンティノポリスとして、15世紀まで続きました。中世に入るとビザンツ帝国と呼ばれ、キリスト教の影響を受け、ギリシャ的性格を強めていきました。1453年、オスマン帝国との2か月にも及ぶ戦争の末、5月29日に首都コンスタンティノポリスは陥落し、最後の皇帝コンスタンティヌス11世は戦死、東ローマ帝国は滅亡しました。

 

以上、CAD・派遣・求人の㈱アルファコーポレーションでした。

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