世界一の倉庫街 港湾都市ハンブルク【CAD 派遣 求人 アルファコーポレーション】
港湾都市ハンブルク

ハンブルクはドイツ北西部に位置し、エルベ川河口から約100Kmほど入った人口178万人の港湾都市です。正式名称は自由ハンザ都市ハンブルクで、行政上はベルリン特別市と同様、一市単独で州を構成する特別市なので、ハンブルク特別市やハンブルク州と呼ばれています。ベルリンに次いで2番目に大きい都市で、「ハンザ」は加盟都市の貿易推進を目的としたヨーロッパの商業都市同盟で、12世紀に始まりました。

エルベ川の河口から100kmも上流にあるため、荒天での被害を受けづらく、12世紀に入ってから急速に交易の中心地、港湾商業都市として発展してきました。現在はドイツ国内では最大、EU圏内ではオランダのロッテルダムに次ぐ2番目の港湾都市です。

 

ハンブルクは港湾都市として栄えてきた街のため、中心部から少し外れると荷揚げされた物を一時的に保管していた倉庫が並ぶ倉庫街があります。この倉庫街は世界最大と言われており、現在でも一部は倉庫として使用されています。運河の周りに立ち並ぶ赤レンガの倉庫は、夕方になると太陽の光で照らされて幻想的になり、夜になるとライトアップされ、更に美しさを増します。

ハンブルクの歴史

ハンブルクという名前は、808年に建設された初代神聖ローマ皇帝カール大帝が築いたハンマブルクという建物から付けられました。これはアルスター川とエルベ川の間の沼地に造られた要塞で、スラブ人の侵攻を防ぐ目的で作られました。ブルクは城や要塞を意味しますが、ハンマの起源はいまだにわかっておらず、城の正確な位置も特定されていません。

 

834年、ハンブルクには大司教座が置かれ、北の使徒として知られていた聖アンスガルが最初の司教になりました。その後ハンブルクは幾度となく破壊と占領に遭います。845年には600ものバイキングの船がエルベ川を遡上し、当時500人が住んでいたハンブルクを破壊します。1030年にはポーランド王ミェシュコ2世ランベルトが街を焼き払うと、1201年、1214年にはデンマークのヴァルデマール2世によって占領されます。1350年には黒死病(ペスト)により人口の60%が死んでしまい、更に中世のハンブルクは何度か大火も経験しています。

1189年、皇室憲章で“赤髭王”フリードリッヒ1世がハンブルクに自由都市の地位と、北海に繋がるエルベ川河口までの自由貿易地域の権限を与えました。これによりハンブルクは、北海とバルト海の主要貿易ルートに近かったこともあり、すぐに北ヨーロッパの主要貿易港になりました。

 

1806年に神聖ローマ帝国が解体されると、自由帝国都市ハンブルクは特権を持ったまま「自由ハンザ都市ハンブルク」として主権国家になります。しかしハンブルクは、ナポレオン1世により簡単に第一次フランス帝国(1804-1814/1815)に併合されてしまいました。1814年、ベニグセン将軍の元、ロシア軍はハンブルクを開放すると、1815年のウィーン会議でハンブルクの独立を認め、ドイツ連邦の39の主権国家の1つとなりました。

 

1842年5月4日に始まった「大火災」により、都市の約4分の1が壊滅し、3つの教会、市役所やその他多くの建物と51人の命を奪い、5月8日に鎮火しました。この時の復興には40年以上かかったといわれています。

ハンブルクの観光

2016年には、650万人の観光客と1300万人以上の宿泊客がハンブルクを訪れました。観光部門は17万人以上の常勤労働者を雇用しており、約90億ユーロの観光収入があり、観光産業がハンブルク都市部の主要経済力になっています。

代表的な観光名所には、市庁舎や聖ミカエル教会のツアー、古い倉庫地区や港の遊歩道があります。その美しさから「ハンブルクの真珠」と呼ばれるアルスター湖があり、これは13世紀にエルベ川の支流のアルスター川をせき止めて造られた人工の湖です。「内アルスター湖」と「外アルスター湖」に分かれており、湖に繋がる運河や水路には多くの橋が架けられ、橋の数は水の都と呼ばれるイタリアのベネチアを超え、ヨーロッパ最多と言われています。またハンブルクの象徴の一つである市庁舎は荘厳なネオ・ルネッサンス様式で、比較的新しい19世紀に建設されました。ハンブルク市民の自慢は、イギリスのバッキンガム宮殿より6室多い647室あることで、まるで宮殿のような佇まいです。

 

さらに豪華客船のクイーン・メリー2は2004年の初寄港以来、定期的に寄港し、2010年以降は6回の出航が計画されています。

ハンバーグとハンバーガー

日本の家庭料理としても人気の「ハンバーグ」や、今やアメリカの国民食となっている「ハンバーガー」の発祥地でもあります。ハンバーグの起源は、ドイツ・ハンブルクで労働者向けの食事として流行した「タルタルステーキ」とされています。このタルタルステーキは13世紀にヨーロッパへ侵攻してきたモンゴル帝国のタタール人の生肉料理を原型としていて、固い馬肉を細かく刻むことで、食べやすく加工していました。

18世紀から20世紀前半に多くのドイツ人がハンブルク港から出港し、アメリカに移住しました。アメリカに渡った彼らがよく食べているひき肉料理を、「ハンブルク風ステーキ」と呼ぶようになり、日本ではそれをハンバーグと呼ぶようになったというのが有力な説のようです。ちなみに日本で食べられている「ハンバーグ」は、本場ドイツでは「フリカデッレ」や「グリレッタ」と呼ばれる料理が一番近い料理だそうです。

 

 

以上、CAD・派遣・求人の㈱アルファコーポレーションでした。

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