
このお城は、城内に入った所から石垣が見事です。
当時、このような建築物はどのように建てられたのかと思いを馳せてしまいます。
今のような綿密な建築図面は無かったとおもいますので、「設計」は今のような「CAD」
は無かったので、墨で描いていたのでしょう。

城内に入りましたが、内部は撮影禁止でしたので、天守閣から
矢倉を写してみました。
実際に見ると、この建築も大変立派なものです。
設計に携わっているせいか、当時のお城の図面に興味を持ちました。
城内はとても広く、「本丸」以外に「二の丸」「三の丸」跡が有りました。
遠くに山が連なっているのが見えますが、あの山が飯盛山で有名な「白虎隊」の
伝説の場所です。
ガイドの人が大体の場所を教えて貰いましたが、やはりここからではよく分かりませんね。
早速、向かうことにしました。
長い参道がまっすぐに伸びていましたが、横にエスカレーターが有りましたので楽に上まで
登れました。
「白虎隊記念館」などを見てから、現地に向かいました。
上の画像で階段を下り切った辺りが、白虎隊の少年達が最後を遂げた場所です。
階段を下り切ると、線香の煙が立ち込めていました。
「白虎隊」の少年達のお墓が整然と並んでいます。
あの時代に自分たちの強い想いを持って、仲間全員で自決に及んだエネルギーを足元から
感じる思いがしました。
美化するわけでは有りませんが、少年達の「覚悟」に敬意を表したい気持ちでいっぱいです。
白虎隊の一人々の名前が刻まれており、名前がはっきりと読み取れます。
複雑な思いに駆られました。
少年達が集団で自決した場所に実際に立ってみました。
ここから遥か遠くに見える鶴ヶ城が官軍に落とされ、会津藩が負けてお城が燃えていると
錯覚して自害したのです。
しかし実際には、お城はまだ落ちておらず周囲の民家の煙りだったそうです。
年号が明治と改まるわずか八日前の出来事だったそうです。
武士の子供達の死を恐れない強い決意や覚悟を思い知らされた気持ちです。
今の時代に欠落した大事なものが、この場所に存在している気がします。
今回、ようやく会津若松に来ることが実現しましたが、今まで以上にこの場所に足を運びたい
気持ちが強くなりました。